J85鈴木コングのワールドカップ参戦期

レポーター:J85鈴木コング 2004年7月29日〜8月10日




それは、和歌山カップでの一言から始まった。
「世界選手権行く?とりあえずエントリーだけしといてよ」
 J20杉原ユージの一言だった。初めは、予算的にも日程的にも何も頭になかったので現実的に行けるとは思ってない自分がいた。ただ、突然行けるようになってもエントリーをして、尚且つ出場資格を得られなければだめなので、とりあえずチャレンジしてみることにした。
 まずネット上でのエントリーを行ううえで一番の問題が浮上する。「言葉の壁」である。もちろん自分は生粋の日本人。英語なんてバブバブ言ってる赤ちゃんレベルで、マウイにいっても日本語で押し通 すぐらいである。そこで、協力なスケット、がりチャン夫婦の登場である。彼らなくしてこの企画は成功しなかったであろう。
 レースに申し込までは、なんなくクリアーすることができた。あとは、結果をまつだけ。しかし、最後に連絡を入れてから参加OKの連絡が、一向にない。ワイルドカードでの出場なので、だめだったのかな、と思いフェスタイン沼津の準備を始めると、一本のメールが届いた、中身を見てみると、「世界選手権出るの?すごいね〜」みたいな内容のメールが柵木さんから届いた。夜中なのに驚いて電話をかけて「何で知ってるの?」と聞いてみた。(実はごく一部の人しか知らないことだった。)すると「世界選手権のホームページに出場選手がアップされてるよ。」とのことだった。そこで初めて参加できることを知った。(出発予定日から10日ぐらい前の事だった。


 それからがものすごく大変だった。
予算、日程の調整に頭をフル回転させ、やれることすべてをやってみた。すると、この短期間に何とかなってしまったのだ。(協力してくださった皆さん、ありがとう)そんなこんなで、ようやく出発を迎えることができた。
 7月29日朝、成田空港へと車を走らせる。集合予定よりやや遅れて到着。いつもの様に車を預けて、チェックインの準備を進める。フランクフルト経由のベルリン行き。飛行予定時間は11時間。長旅だ。
 朝だというのにカウンターは激混み。出発時間が刻々と迫ってくる。
 自分は、最後の方に並んでいて、ウィンドの道具もある。出発までに道具を積んでもらえるのか心配になる。すると係りの人がきて「こちらでどうぞ」とファーストクラスの赤じゅうたんの上でチェックインを済ます。時間ぎりぎりだ。買出しもできないまま、飛行機に乗り込むはめとなってしまった。
 「いざ、ポーランドへ。」定刻より少し遅れて離陸。しばらく気流の悪い中を飛んでいく。すると突然、閃光とともに衝撃が。
 「テロか?」
 実は、雷が飛行機に落ちたのである。今まで飛行機に乗っていて初めての体験である。それから、本を読み、映画を見て、軽く寝て、それでもまだ着かない。
 なによりエコノミーが狭くて辛い。
 何とかもじもじしながらフランクフルトへ到着した。(ユージは、爆睡していたらしい。さすがワールドカッパー神経が図太くないとやって行けない。) そこから、1時間かけてベルリンまで移動。ついたころには現地時間の9時ごろ、いよいよ、ロングドライブの時が来た。今回旅の足となるプジョー307に道具を縛りつけいざ出発。車はディーゼルの5速マニアルですこぶる調子いい。ベルリンの街中を抜けてポーランドへひた走る。
 いけどもいけども真っ暗闇で何もない。
 「なんか、青森みたいだあ〜。(津軽弁風)」
 ユージと言葉を交わしながら、睡魔と格闘しながら、時速130〜140キロの高速走行。そして、2時間ほどしてポーランドとの国境に到着。初めて車での国境越え。言葉もなんだかわからないポーランド語に変わった。
 その後、2人とも猛烈な睡魔に襲われしばし、車を止めて仮眠。この日はものすごく寒くて、後の体調不良につながってしまった。
 2〜3時間して目を覚まし、再スタート。相変わらずの風景である。
 しばらく走ると、だんだん空が明るくなってきて、周りが見えるようになってきた。
 「腹減った。なんか食わない。」
 ユージが言ったので、近くにあった、ドライブインに立ち寄り、何か食べることにした。
 メニューを見ても何が書いてあるかまったく解らない。かろうじて解ったのがハンバーガーぐらいで、それを頼むことにした。価格は6zt(ズオッティー)でまだ、両替してなかったのでユーロで払った。後で考えると、少々ぼられたようだ。
 腹を十分満たし、一路LEBAへ。時折通過する町以外は何もない。さらに2〜3時間、道にも迷いつつ何とか目的地に到着。日本を出てから約1日ちょっと、というところだろう。


まずは、宿の確保のため、ユージが去年泊まった民宿に行ってみた。すると、向こうのオーナーも覚えていたらしく、難なく確保することができた。
 一泊100ztで朝食付き(約3300円)とてもきれいな部屋である。部屋には、まだ、前の宿泊客がいるので、10時ぐらいに準備しておくと言われた。そこで、ガレージを借り荷物を少し降ろして、会場となるビーチを両替がてら見に行く事にした。
 ビーチには、まだ時間も早いというところも会って、人もまばらで、静かな感じだった。しかし、このビーチは、日本で言う湘南みたいな所らしいので、ある意味楽しみである。
 チェックをおえて民宿に戻り、まずは道具のチェック。飛行機での運搬などでダメージがないかを見る。
 自分の道具は、ノーダメージ。ユージは、少しボードが欠ける程度で済んだ。それから、部屋へ戻ってこれからの準備をしていると二人とも移動の疲れと時差ボケによって、落ちるように眠ってしまった。
 はっと気が付くと、3時ぐらいになっていて、外を見ると、そよそよしている。「海行く?」っと、声をかけ「いくか。」ってな具合で行ってみることにした。
 ビーチに行ってみると、ものすごい海水浴客で、ホントに湘南の海のようだ。風は、右サイドで12.0でギリ走るか走らないかぐらい。とりあえず、一回もセールを張ってなかったので、11.9をセッティングしてみる事にした。
 セールを張り終えたころにはかぜも落ち、結局乗れずに終わってしまった。後から聞いた話だと、さっき寝ていた時間が一番吹いていたらしい。
 部屋へ戻り、シャワーを浴びて横になっていると、もの凄いだるさと寒気に襲われ、のども痛く、せきも出るようになってしまったのだ。いわゆる風邪をひいたらしい。その日は、夕食にも出れずに、寝込むはめとなってしまった。
 しばらくして、ユージが夕食から戻り、ピザを買ってきてくれた。何とかそれを食べ、日本から持参した風邪薬を飲んで、再び眠りに付いた。


 翌朝、目を覚ますと、少し身体は、楽になっており、せきだけが出るくらいに回復していた。
 その日は、朝食を済ませると、ユージのビーサンを買うために、街中を散歩がてらビーチまで歩くことにした。
 LEBAは気温が、25〜27度ぐらい有るのだが、湿気がないのでもの凄くすごしやすい。たぶん、サイパンぐらいの距離なら何度でも来たいぐらいの、避暑地には最高のところである。しばらく街中を探索し昼食をとることにした。
 「ココは、魚がうまいんだよね〜。」
 ユージが言ったので、魚料理を食べることにした。何軒か並んでいる店の中から一軒選び、中に入った。もちろん、まだ字は読めない。
 「なにごともチャレンジでしょう。」
 なんていいながら、何なのか解らないまま「SOLA」と書かれた魚料理のプレートを注文。しばらくすると、その魚は、フライとなった姿で現れた。こっちはほとんどの魚をフライで食べていた。ナイフを入れてみると、白身の魚らしい。一口放り込むと、意外と美味い。なんとなくホッケみたいな味がした。醤油がほしいな、そう思いながら美味しく食べ干した。 腹を満たした後、ビーチへと行ってみる事にした。昼過ぎということもあって、人通 りが多くビーチに着くと、人でごった返していた。
 風は吹いてなく、ウィンドしている人間も1人か2人、ビギナーだけである。今日も乗れずに一日を終えてしまった。部屋へ戻りシャワーを浴びて、早めの夕食に行くことにした。
 今日は、昨日ユージが行ったパスタ屋に行くことにした。パスタ屋では、パスタ2つ、ピザ1つ、サラダ1つ、それとビール(ビールはアルコール度数が6〜7位 ある)。
 カプリチョーザ並みの量で美味い。そして安い。これだけ食べて1人1000円位である。その帰りにビールを買って帰り(ビール1本500mlで150円位 )部屋で飲んで眠りに付いた。


 8月1日、朝から小雨が降っていて寒い。今日はレジストなので道具をすべて積んで会場へ行くことにした。
 駐車場に着くと、本部テントが設置されえており、2人で行って、レジストできるか聞いてみると、「まだ、準備している」「13時からできる」といわれた。
 2時間ほどあるのでぷらぷらしながら昼を食べにいった。それから13時ぐらいに戻ってきて、レジストへ。
 実は、2人とも英語でのレジストなので、ちょっと不安になりながら使用する道具の申告と申し込みの確認をすませた。意外と言っていることは理解できた。
 そのころから、少しずつ天候も回復し、風も入り始めた。右からのサイドオンで4〜5mぐらい11.9をセッティングし海上へ出てみた。
「初ヨーロッパ〜」なんて思いながらユージとチューニング。なんせ、11.9も初乗りなのである。よくぞこんな状態でやって来たものだ。なんだかんだ言いながら、初日の、ウィンドを楽しみながら終えることができた。
 それから道具をかたかたずけ、今日から、道具を置いていけるか、確認してみた。すると、
 「今日は、セキュリティーが入らないから、明日から。」
 といわれて、道具を運ぶことにした。
 駐車場とかたずけた場所が遠いので、キャンプ場の中に入れて近い所まできて、道具をかたずけようとすると、ここの管理人らしきおっさんが、もの凄い顔をしてこっちに向かってくる。なんだ?っと思っていると、がやがや言い出した。かろうじて聞き取れるのは、「10zt払え」といってることだ。
 しばらくきゃんきゃん言われていると、英語のできる人が間に入って通訳してくれた。つまり、「この敷地内を使うなら使用料10zt払え」といっていたのである。ついでに、ほかにもウインドの車もあったので、そいつらのことも、合わせて吠えていたのである。すると、ユージが「1時間だからいいでしょ?」と交渉に入るが一向に譲らない。結局どうにもならないので、最初に止めていた駐車場に戻り、道具を運ぶことにした。
 「まったく、なんてけちなおやじだろう。」
 そんなことを思いながら、渋々道具を運ぶことにした。全ての道具を積み終えて、宿に戻った。
 今日の夕食は、地元家庭料理の「ゴウオンプキ」だと思うが、日本で言う、ロールキャベツみたいなものを、食べに行くことにした。去年ユージが来た時には、食べることが出来なかったらしい。今年はしっかりと、食することにした。
 お味はというと、トマトベースで、まさに日本のそれと同じである。ビールと、スープをつけて、いただいた。結構イケていた。それから、宿に戻ると、体をいたわってお灸をすえてリラックス。アロマテラピーじゃないが、香りも楽しみながら眠りに着いた。


 8月2日いよいよ大会が始まる。
 朝ビーチへ向かい、全ての道具を、セッティングエリアへと運ぶ。これがまた、えらい作業で距離にして、検見川駐車場付近から、中央突堤チョイ手前ぐらいまで、砂浜を引きずって運ぶのである。しかも、一回では運べないので、3〜4往復するはめになった。めちゃくちゃ疲れ、汗だくになった。
 海上では、昨日ぐらい風は吹いているのだが、体が疲れてすぐに乗る気にはなれずに、ランチに行くことにした。
 今日は、レースも無く、テストが出来る最後の日である。11.9をセッティングし海上へ。まずまずの感じで乗れている。しばらく乗っていると、ユージがチューニングするため、浜へ戻った。
 海上で待っていると、タックをうった次の瞬間
 「バキ!!」。
 なんとエクステンションパイプが折れてしまった。
 海を漂っていると、近くにいたジミーが「大丈夫か?」っと近寄ってきてくれた。幸い折れたところがビーチ際だったので、すぐに足が着き、浜に戻ることが出来た。
 しかし、11.9をまた張るためには、40cm伸びるエクステンションが必要になる。スペアーは無い。ユージとどうするか相談していると、ジェーさんが声をかけてくれた。
 「どうしたんだ?」
 事情を説明すると、ジェーさんは、マイカのところに行き、なにやら持ってきてくれた。
 「これを使いなさい」差し出したそれは、カーボンエクステンドでした。そうして「なにか困ったことがあったら、いつでも言いなさい。手を貸してあげるよ。」といってくれたのです。なんと心強く感じたことか。そして、その日の練習を終えた。 宿へ戻り、シャワーを浴び、そして夕食へ。1時間ほどして部屋へ戻ると、ユージが「俺のバックがない!」といった。何だ!と思い、あたりを見回すと、ユージのベットの上に、バックの中身がばら撒かれて、窓が全開になっていた。
 「まさか!!!」
 自分のかばんを見るとなんと、パスポート以外の金目のものすべてものがなくなっていた。空き巣に入られたのである。しかも、帰りのエアーチケットまで無い。最悪だ〜。
 それからオーナーを呼び、事情を説明。警察へ行くことになった。これがまた、大変である。ただでさえ、英語も満足に話せない上、英語も通 じないところで、どう説明するか。結局、2〜3時間かかりようやく事情聴取が終わった。もう、11時を過ぎていた。今日は散々な一日だった。
 「くっそー、この怒り、明日のレースにぶつけてやるー。」


 8月3日、天気はあいにくの曇り。時折、小雨もぱらぱら降ってくる。今朝は、昨日の盗難事件のレポートをもらうために、警察によってから会場へ向かった。スキッパーズミーティングをして、風が吹いてないので、ウェイティングに入った。
 昼近くになって、だんだん空が明るくなってきて、晴れ間も出てきました。ランチを済ませ、各選手の道具チェックをしていると、空もすっかり晴れ上がり、風もそよそよ入りだした。海上を見ながら、11.9と10.0をセッティングする。
 15時、レーススタートを告げる合図がなった。風は、ミニマムぎりぎりの9〜10ノット、右からのクロスオン。各選手手持ち最大のセールで海上へ向かった。
 海上はどことなく、九十九里に似ていて、うねりが胸、肩ぐらいある中の出艇だった。自分は、早めに海上に出て、いろいろと、チェックしていた。
 続々と選手が出艇してくる。
 いろんな選手の走りを見ていると、とてもわくわくしてくる。
 「何処までやれるのか、自分の戦術は通用するのか。」
 いよいよ、世界選手権が始まる。
 自分のヒートは第3ヒートだったので、まずは、第1ヒートのスタート見学である。それから第2レース(レディース)スタートの後、いよいよスタートである。
 スタートシークエンスは、5分で行われた。
 3.2.1.スタート……スタボーでジャストスタート!
 しかし、みんなとてつもなく速い。
 風はミニマムぎりぎりで、マックスでも、11〜12ノットあるかないかぐらいのはず。スタート前「全然風なんて吹いてねーよー!」と怒鳴っていたフィニアンは、遥か彼方をテケテケ走っていってしまった。
 さすがワールドクラス。おそらく100キロ以上あるだろう体重を感じさせない走りだ。
 コースは、インナーループといわれる、上下にサイドマークをつけた感じで、フィニィッシュラインはお客さんのいっぱいる、ビーチ際ぎりぎりまで突っ込んでいく。
 他の選手の走りに圧倒されながら順調にコースを走っていく。順位は……おそらく20番台前半で走っている。サイドマークを回航。最後の下マークを回航すれば、記念すべき第1レースが終了する。しかし、突然、厚い雲が広がり雨がぽつぽつ。下マークを回航したときには、すぐ前も見えないぐらいの、滝のような雨。
 下マーク回航後は、アビームから下りのレグのはずが、回航してみると、少し上りになっていて、少しずつ振れていきしまいには、90度ぐらい振れて、無風になってしまい、結局あと100mぐらいというところで、キャンセルレースとなってしまった。
 それから、風が吹くことなく、第1ヒートのみの成立で1日を終えた。
 この日走った感想は、日本と同じ位の1レース30分ぐらいだが、倍以上疲れる。フィニィッシュ付近では、息も上がりくたくたになる。そして、とにかくみんな「くそっ速!」ということである。
 今夜は、昨日の盗難事件もあり、宿のママが手料理をご馳走してくれることになっている。レースが終わったのは、7時近くだったので、急いで宿にもどり、シャワーを浴びてダイニングに向かった。今日の料理は、ちょっと前にも食べたが「ゴウオンプキ」をリクエストしておいた。
 目の前に運ばれ、一口食べてみると、この間のレストランよりはるかに美味い。中には、お米も入っていて食べ応えもある。腹いっぱいご馳走になって、部屋に戻り、今回の遠征での儀式、お灸をすえて、床についた。

 8月4日朝から快晴。いい感じだったがこの日風は上がることもなく、ノーレース。
 ポーランドは、日が長いこともあってウエイティングは18時までだらだらとすごしていた。1日待っているのも疲れるものだ。今日は、昨日オーナーに教えてもらった。中華料理を出す店に来てみた。「チャーハン」をオーダーして、食べてみたが、なかなかいけてる。しかも、白い米も買うことが出来るのだ。ユージはチャーハン1つじゃ物足りないので、米を買って帰り、日本から持ってきた缶 詰で、もう一食食べることにした。缶詰の中身は、焼き鳥、秋刀魚の蒲焼、さばの煮付け、それと味噌汁。
 「久々の日本食はいいね〜」
 もう食えない!そんなぐらい食って寝た。 そういえば、ウエイティング中にドロタのサイン会が開かれていたが、なんと、100人以上並んでいた。日本では、考えられない光景を目の当たりにした。写 真はサインにならぶ人たち。

 8月5日今日も快晴。しかし、どうやら俺の風邪が、ついにユージに移ってしまったらしい。咳も出て、かなりだるそうで、宿のママに薬をもらってそれを飲んでから、会場へ向かった。自分も薬を持っていってあったが、全部飲み干してしまっていた。
 相変わらず風はない。
 いつもの様に、午前中はだらだら過ごし、ランチを食べる。ビーチに戻ってくると、オフぎみだが、少しずつ風が入りだしていた。まだレースは、始まる気配はないが、海上チェックをかねて、出艇してみる。
 海上は、ホールだらけで、おまけにシフティー。まだやれる気がしない。ビーチへ戻ると、コミッティーはレーススタートの合図。「えっ?」と思いながらも、海上へ。この日は第1ヒートなので、すぐに出艇した。
 しかし、風は安定せず、1度はスタートを試みたが、途中風が落ち、キャンセル。続く第2、第3も風が安定しないので、キャンセルとなった。このあと、しばらく海上待機したが、いったん戻れのフラッグ。そのころ風は、ほとんどなくなり、時々吹くブローで走るぐらいに落ちた。
 「今日も出来ないんだろうな」と思いながらセールをばらしていると、再び風が吹き始めた。そして、スタートの合図。あわてて、セールを張り直し海上へ向かった。今回は、やや弱いものの、きっちり走るぐらい吹いている。そして、レーススタート!今回もミニマムぎりぎりなので、ちょっと有利かも、そんな考えを持ちながら、走った。
 しかし、外人選手はよく走る。体重が90〜100キロ近いのに、ライトウインドでもよく走る。また、スピードも速い。どうにかこうにかがんばって走ったが、結果 は、23位半分ぐらいの位置である。ミスもあったが、まあ初レースにしては、良いかも。結局この日成立したレースはこの1レースのみとなってしまった。(あまりにも、シフティー、ガスティーだった。)
 レースは夜7時ぐらいまでねっばっていたが行うことが出来なかった。(7時でも余裕で明るい。)
 今日は、1日長かったせいもあり、ぐったり。早く寝てしまった。

 8月6日、今日も快晴。いつもより風の吹き始めが早い。レースが早く始まると予想し、早めのランチを取ることにした。
 ランチから戻ると、さらに風は安定して吹いていた。11.9と10.0をセッティング。レーススタート。
 この日は、キャンセルレースも入ったが、3レースが成立した。いろんな課題はあったが、ワールドクラスの本気モードを直接体験できたことは大きい。
 今夜は珍しく、一人で夕食を食べに来た。(いろいろあって……)店に入ってチキンのプレートとビールを注文。なかなかいけてる。
 よくよく考えると、不味いものはない。そして、今回のレポートは、食うことばかりだ。まるで「おいしんぼう万歳」である。明日も美味しい料理を探すか。


 8月7日、今日も快晴。いつもと同じように過ごし、レースは13時スタートで始まった。
 第1レース、ゼネリコのフラッグ。本部船に近寄ると、なんとオーバーアーリー。1レース損した気分。結局ココまでで、予選ラウンド終了。
 6レース中2レースもリコールしてしまった。情け無い。
 その後、シルバーフリートへ行き、2レース行い、トータル8レース、順位は69位に終わった。
 その夜表彰式では、上位3名が、ステージで表彰されていた。とても気持ちがよさそーだった。「あそこに立てたらどんな気持ちになるんだろー。立ってみたいなー。」そんなことを考えながら、徐々にアルコールが進んでいく。そして・・・・。いつもの様に記憶をなくし。すべての日程を終了した。


 翌朝目を覚まして、記憶をたどってみたが……やっぱり無かった。
 今日は、サムと合流して、ベルリンへ向かうことになっていた。(ユージがスケジュールを変更したため。)
 午後2時に待ち合わせなのでビーチに行ってみると、サムの相方の、ザックが「サムは飲みすぎでまだ起きてこない。」と言った。仕方が無いので、いったんサムの宿にいき、彼らが積み込みするまで待つことにした。
 予定より1時間半ほど遅れて出発。ベルリンを目指した。
 走り出してみると、やつらのスピードには驚かされる。カーブ、でこぼこ道、前の車、おかまいなしでぶっ飛ばす。130〜140ぐらいは出ている。そしてなにより驚かされたのは、山道である。ラリーカーのように土ぼこりを上げてぶっ飛ばす。ユージも必死に喰らいつく。途中小さなギャップで車がはねると、サムたちの車の下から火花が散った。まさに日本vsカナダのラリーのようだった。
 そんなハードなドライブをして、ベルリンへたどり着いた。この日はサムたちとシェアーしてホテルへ泊まった。


 翌朝、ザックは9時にチェックアウトしカナダへ帰っていった。
 それから我々は、昼ぐらいまでゆっくりして、チェックアウト。空港へ行き、サムとユージと別 れた。彼らはココからスイスへ向かい、大会に出場するのだ。さ、自分も日本へ帰るか。
 実は、今日は、帰れないのである。
 なぜなら、本来なら明日10日の朝の飛行機で帰る予定なので、帰れないのである。
なんせ、盗難にあっているので、金が無い。宿泊できないのである。
 しばらく待っていると、ケビンにあった。
 「何時の飛行機でかえるの?」
 ときいてきたので
 「今日はココに泊まって明日の朝帰るんだ」
 と答えると目が点になっていた。盗難にあってお金が無いから宿泊できない。と事情を説明すると、とても心配してくれた「何か食べるものいるか?バーガーキングいるか?」そんなこともいってくれた。しかし、大丈夫だとつげた。(前日買ったパンがあったから。)
 最後に握手を交わしケビンと分かれた。
 2〜3時間待っていると、係りの人が尋ねてきた。
 「何してるの?フライトは何時?」
 「明日朝のフライトだから、明日まで待ってる。」
 すると「チケットを見せて。」というので「ぬすまれてない。」と伝えると、きゅうにあわただしくなってきた。
 なんとか「旅行会社から連絡がいってるはずだ。」と伝えると、「そんな連絡は無い。」といわれ、「え!」連絡してあるって言ってたのに……。
 とにかくこのピンチを乗り切らねばならない。なぜなら、日本へ帰ることが出来ないからだ。すったもんだしていても、一向に進展していかない。今わかっていることは、チケットが無いと帰れない事だけ。
 しばらく考えていると、係員は「お金は持っているのか?」と聞いてきたので財布から、有り金全部出して見せると、何だ持ってるじゃんみたいな顔をして「向こうで再発行してもらいなさい。」そういわれチケット販売カウンターへ連れて行かれた。
 そこへ行くと、連絡がいっていたらしくすんなり再発行してくれた。
 どうやらカウンター間違いをしていたのが、原因だったらしい。
 しかしまだ問題がある。なんと、空港にいられない。と言われたのである。もう手持ちは、オーバーチャージ用にとってあった200ユーロしかない、でももう出て行くしかないので、どうにでもなれ!そんな感じで、空港内にウインドの道具をあずけ、(全部で36ユーロ)そして昨日泊まったホテルにチェックイン。なんと、111ユーロ(約15000ぐらい)の部屋に泊まり残り60ユーロ。
 もう考えるのをやめ、シャワーを浴び寝ることにした。
 今日の教訓、やっぱり英語は勉強しなきゃ。


 8月10日、最後の決戦の日である。なぜなら、オーバーチャージの交渉があるからである。もう、正規料金を払うだけのお金は持ってない。もちろんカードも。
 ちょっと早めに空港に行き、カウンターに並ぶ。まだ前の便のチェックインをしている。フライト予定時間が迫り、もうガラガラになっていた。そこで、まだチェックイン出来る時間じゃないが、カウンターに行き、最後の決戦に挑んだ。
 「ウインドの道具が1セットあるんだけど。」
 そう伝えながらバッグを指差す。そして「盗難にあってもうこれしかない。」そう伝えながら、小銭と50ユーロ見せ、付け加えて、警察で書いてもらったレポートを見せた。
 なにやら係りの人は電話をしながら、ああだこうだ言っている。しばらくして、答えは「200ユーロないと運べません。」
 でたー、こいつら何言ってんだ。そう思いながらも、頼み込む。
 「なんとかして。」
 また、電話で話し込む。「カードナンバーは知らないの?」そういわれ、日本に電話して聞くから、かけさせて。そう伝えると、昨日チケットを買ったカウンターに行ってと言われた。
 作戦はこうだった。
 ココから電話することが出来ないので、日本のルフトハンザーに連絡を取り、そこから日本の自宅へ連絡してもらい、自宅からベルリンのココまで電話してもらう。そうして、カードナンバーを調べようとした。
 そんな段取りを考えていると、ちょっと偉そうな人が出てきて、ごにょごにょ言ってる。よく聞くと
 「上が50ユーロでいいって言ってるから50ユーロで運んで。」
 まさにミラクル!一発逆転でフィニッシュを迎えることが出来た。
 そして、50ユーロ払い全てのチェックインをすませた。
 「やった、後は飛行機に乗って帰るだけだ。」
 そう思い、実は「全部でこれだけ」なんていいながら交渉したが、ちゃっかり10ユーロ残しておいたので、バーガーキングで朝食をとった。
 「うめ〜」
 全てが終わると美味しく感じる。さ、今度はホントに帰るぞ。待合室に入り飛行機を待つ。いろいろあったが、来て損は無い。日本にいたら見えないもの、感じることが出来ないこと、そんな大切なものに触れることができたと思います。
 最後になりましたが、今回、この世界選手権出場にあたり本当に多くのご支援くださったスポンサー各社に御礼申しあげます。また、応援してくださった皆さん、本当にありがとうございました。今後、この貴重な経験を生かし、更に自分を成長させていきたいと思います。 


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