2003 WFJ Formula Wind Surfing Class 世界選手権派遣選考会

2003.5.23〜25 霞ヶ浦
Stiffからは631吉崎、344ミッキー、そしてJ-20杉原祐史選手が参戦
レポート:J-222


5月23日

 Formula Wind Surfing Class世界選手権・派遣選手を決定する大会……というだけでもスゴイのに、なんと、インターナショナルルールに則った日本で最初のレースでもあるとのこと。私はボードがレギュレーションに適合しないのと、土曜日に名古屋出張が入っているため、金曜・日曜のみの観戦になりました。
 23日、金曜日、お昼頃に会場到着。人数こそ30名ほどと少なめですが、山田選手、香村選手、国枝選手といったMRCの面々をはじめ、合志選手、小玉選手ら強豪、さらに浦上選手のようなトップアマが集合。内容の濃いレースが期待されます。しかし、この日の風はそよ吹き。それでも各選手は湖面に出ていました。
 レース会場は公園に隣接しており、芝生でセッティングができるのが素晴らしい。駐車場、トイレ、売店、食堂なども併設してあり、水族館もあるというワンダフルな(?)環境。ただ、出艇エリアがビーチではなく、船着き場のようなところから道具をおろさなくてはいけない。う〜ん、これはたいへん。でも、J-20ユウジ選手は、「全然、平気っすよ。淀川なんてもっとたいへんですよ」と言う。
 レース会場をふらふらしている大きな外人がひとり。「あれ、だれ?」とウインクレルの人に聞くと、「ウイリアム・ブロウだよ」と言う。えっ、あのガストラのセイルデザイナーで、今、アロウズのセイルデザイナーてっいう有名な人? ウインクレルの人とエ〜ゴでおしゃべりしているところに割り込んで日本語でしゃべる。
 「来期、レースセイルは出さないんですか?」
 「う〜ん、期待してくれてもイイんじゃないかな」
 みたいなことを言ったような気がした。
 ウインクレルの人がちょっといなくなった時に、ブロウさんがエ〜ゴで私に話しかけてくる。
 「セイルは何を使ってるんだ?」
 「あなたのセイルだよ。Tフォース。フォーミュラはガストラ」
 「ガストラはナイトロ?」
 「イエス、ナイトロ2」
 「うん、あれはイイ。4はちょっとなぁ」
 みたいな会話ができた気がする。
 「会えてよかったよ」
 「そりゃ、僕もだよ」
 などと言葉を交わしながら握手をすると、とても手がでかかった。

 ともあれ、この日はノーレース。Stiff一同はVENTのメンバーと一緒に早々と土浦へ繰り出し、早々と夕飯を食い(飲み?)、早々と解散する。


5月24日

 この日、私は名古屋出張。なので、「運営レポート」からその様子を転載させてもらいます。

2日目に入り、北東の風は入っていたが、午前中は、靄がかかり、安定した状況ではなく、ウエイティングとした。午後からは、靄も晴れ始め、風向、風速とも安定はしないが、レースを行うには十分なものと判断し、運営艇を配置し、様子を見た。しかし、約60°の 風の振れの為、コースを設定する事は不可能で、そのまま、レース水域、ポジションなどを模索しながら、コースが設定できる水面を探し続けた。13:00を過ぎた頃から、90°(東)の風が、安定してきたが、この季節この天気図で、90°の風が入ることはあまり無く、信用できない為、しばし、様子をうかがった。結局、90°−95°位で安定し、“N”旗覚悟で、スタートする事に決めた。この時点での風の振れは、45°以上のものだった。レースは、予想通り、この風の振れ(30°ぐらいになっていた)と、ブローの間隔(13分と7分のブローが入っていた)をうまく掴むかどうかで、大きく順位が変動した。そのまま、“L/2”旗で、第2レースに入ったが、第2レースは、第1レースより風が上がり、今度は、フリーの角度によっても、順位の変動が見られた。

 どうも、J-20杉原、調子が悪いらしい。風が吹くと読んで、12.5のセイルを持ってこなかったのが災いしているのだろうか。と、いうことを、私は次ぎの日に知ることになる。


5月25日

 かろうじて午前中に到着。えっ、結構吹いてる? すでに選手の姿はない。はるか彼方の湖面にたくさんのセイルが見える。うわっ、もうみんなレースなんだ。
 昨日までのリザルトを見ると、う〜〜ん。なるほど、昨日は2レース行われたんだ。J-1合志選手が調子イイ。J-20杉原、調子悪し。やっぱ、セイルサイズのせい?頑張って欲しい。
 正午過ぎ、選手がみんな帰ってくる。私も、船着き場(?)から道具をあげるのを手伝う。ほら、みんな12.5じゃない。
 1時すぎにレース再開予定と告げられる。なんとか、本部船に乗せてもらわなくては……。ウエイブやフリースタイルと違って、陸からではロクな写真が撮れない。雑誌などでレースの写真があまりないのも、このせい?
 本部へ行くと、ウインドラブのアサダ氏がいた。VENTの立ち上げの時に一度会ったことがある。
 「すみません、写真撮りたいんで、船に乗りたいんですけど……」
 「え〜っと、どちらの方でしたっけ?」
 「畔上です。スティフで、城和レーシングで……」
 「あ〜あ、はいはい。じゃ、彼と一緒に乗って」
 と紹介されたのが、ウインドサーファー誌のカメラマン、中川氏。その後、3人で昼飯を一緒に食べる。
 アサダ氏は、この大会の準備をほとんどひとりでこなしているらしい。かなり頑張ってる感じ。
 「昨日も倒れちゃったんだよ」
 う〜〜ん、たいへんそうだ。「検見川にジャパンサーキットを呼ぼう」なんて勢いで言うこともあるが、実際にやるとなったらたいへんなんだろうなぁ。

 1時過ぎ、出艇。
 う〜ん、船もなかなか速いじゃない。
 コースは4マーク。マークが2つっきりの「ソーセージコース」とは違って、長いアビームのレグがある。ふうむ、こういうコースははじめてだ。
 第5レースの開始。風がところどころでシフトしているのが見てとれる。これはヘリコプターで見たら面白いんだろうなぁ。
上マークで631ザキ、クラッシュ!

最終レーススタート

 第6レース。これまで、J-20杉原選手はトップがない。おそらくこれが最終レースだろう。
 ここで、再度、運営レポートを引用。

 3日目は、朝からレースに十分な風が入り、午前中2レースを行う事が出来ました。昨日とは違い、北東の風でありましたが、やはり、振れ、強さともその差は大きく、しかも、昨日とは風向が違う為、ブローの入り方、振れの場所も変っており、その変化をいち早く掴んだ選手が、上位を占めていました。その顕著なものは、第6レースの杉原選手(JPN−20)で、岸側の左海面を大きく使い、一挙に数艇をかわし、トップでフィニッシュしていました。全てのレースで、この全周を山で囲まれてる、霞ヶ浦町沖合いは、この風向では、陸からの吹きだし位置の微妙なずれが、大きな風の振れとなって現れ、それに伴って強弱も大きく、非常に難しい水面でありました。

 そうなんです。杉原祐史選手、このレース、トップフィニッシュだったのです。
ゴールの瞬間、フォーミュラーでありながら、なんとボディドラッグ! その後、拳を振り上げガッツポーズ。
 当然のように優勝を狙って出場し、これまでの不振、そして最後のトップフィニッシュ。いや〜、嬉しかったんだろうなぁ。

 最後に、快く船に乗せてくださったアサダさんの好意に感謝します。そして、わがStiffの選手たちの言葉もひとことずつ……

631 吉崎
「このメンバーでこの順位、まあまあじゃないっすか。目標としてはもっと上ですけど、まだまだ速くなる余地があるの見えてるし、これからっす」

344 ミッキー
「これまでDNFとか、順位がつかないレースも多かったけど、今回は順位ついたし、自分なりの自信にはなりました」

そしてJPN-20杉原祐史選手

 フォーミュラのレースは大会前から始まっていると言う事を改めて実感した。
 大会1週間前から天気予報をチェックしていて、そこそこ吹きそうだったのでいちばん乗り込んで信頼性の高い11.7をMAXにチョイス。でも、これが大はずれ。
 ライトウインドでしかも久しぶりのレース。レース感も鈍っている上に淡水は想像以上にフィンの揚力が低く、リフトしない。上りも下りも角度を稼げず、スタートさえもさせてもらえない状況のなか、このシフティーな風を攻略する事に勤めた。
 最終レース、スタートで合志の上になってしまい出遅れ、それでも我慢して左の岸よりに伸ばしてタックしたが、リフトのブローにワンテンポ乗り遅れ、先にタックした浦上がリフトのブローに乗りかなり良い位置でファーストマークに到達していた。
 下りに入ったその時セカンドマーク付近でブローの区切りが見えた。このレースエリアでは、最初に左からポートのリフトするブローが先に入るのが約2分周期のパターンとしてあり、自分が4マークを回抗した時先行する集団がブローの中にいるのにリフトしていないのが見え、すぐにタックし最初のブローを待ってポートへタック。リフトのブローに乗り、右海面からのスタボー集団は落ちて行き、2周目の上マークをかなりのアドバンテージを持って回抗。そのまま下りで差を広げつつフィニッシュ。
 レース全体の結果には失望しているが、終わり良ければ全て良し!
頭を切り換えて次11月福岡は必ず勝ちに行きます。これからも応援宜しくお願いします。

JPN20

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