STIFF オクマCUPツアー
レポーター:631 ZAKI
編集:J-222 AZE
まず、知っていただきたいことがあ〜る。オクマカップがとても伝統と歴史に彩られた大会であるということだ。もともとオクマは、ウインドサーファー艇が主流だったころから世界大会が行われたほどの地。そしてそこで挙行されてきたオクマカップの優勝者には、これまでの日本のウインドサーフィンの歴史を支えてきた先輩諸兄が名を連ねている。たとえば、ウインドサーフィンの黎明期から世界へも参戦し、現在(株)ウインドサーフィンジャパンの社長である三木さん。往年の名レーサー、岩橋選手などなど……。そんな「オクマカップ」が時を経て復活したことが素晴らしい!
つぎに、覚えて欲しい名前があ〜る。セイルナンバー631、吉崎正洋。結論から報告すれば、彼は2005年、復活したオクマカップで総合優勝を飾った。あのキラ星のように輝く歴代のチャンピオン達の末席に名を連ねたのだ。実に素晴らしい!
ひとつ、ことわっておくことがあ〜る。私の手元には、すでにザキからの詳細かつマジメなレースレポートが届いている。しかし、その原稿は雑誌ハイウインドに掲載される予定になっている。よって、雑誌発売前にその内容を「早出し」するわけにはいかない。そこで、もうひとつザキから届いている「オクマツアーレポート」をとりあえず掲載する。ザキ・レポートの最後には、721コカッキーがレースレポートを書くように指名がある。届き次第それも掲載するので、コカッキー、頑張りたまえ。では、ザキ・レポート、はじまりはじまり。
2005、1/8三浦でのレースを終え、店へと車を走らせた。恒例の沖縄ツアーの積み込みのためだ。stiff号にスラロームからフォーミュラーまで、6人分を積み込み、早めにフェリーで送らなくてはいけない。6人分の道具の量って想像できる? 車の前に積み込むものを並べて、俺を含め、杉、ムトーチャン、ロボ、子カキは、途方に暮れた。で、まあこういう時頼りになるのが、stiff店長! ちゃちゃと指示を出し、ぱっぱっと積み込んでいく。もう頭は使わない。あなたの手となり足となります。いつも、あーでもない、こうでもないと、ぐずぐずする積み込みが、あっと言う間に終わったよ!
翌日、南西の予報の為、館山ウエーブツアーとなった。朝一で店長と待ち合わせて、昨日の車を千葉港のフェリー乗り場へ輸送した。厳しい警備の目を尻目に、ハイエースの屋根に道具をこんもり乗せたstiff号と、俺様の品のいいHIエースが事務所へと進む。中から笑顔の素敵な、愛想の良いおば様(えっ、この方ですか?バレンタインディに唯一店長にチョコくれた方は……(・_・)が、手際よく手続きしてくれた。正月ということもあり、賀正と書いたグッズも貰った。これで一つ仕事がかたずいた!
と、店長が、ため息混じりに、俺の助手席に乗って来た。店長って色々やることあって大変なんだと、はじめて分かった。よーし!館山ウエーブへLet’s Go!・・・この時二人は、この後起こる
悲劇を知るよしもなかった。
1/13。兄(テンチョー)、コング家、ロボ、ムトチャン、俺、ナツは、皆より早く出発し、車をピックアップして、オクマに前乗りすることになっていた。朝4時半発が、ムトチャンの遅れで、40分遅れで、2号車で羽田に向かうことになった。まだ眠いのと、道が混んでるので、車内はどんより。間に合うのか!・・・。ぎりぎりチェックインを済ませ、ぎりぎり搭乗出来た。ほんと杉原兄弟は、最後に帳尻が合い、上手く行く!(・_・???)
3時間後、那覇空港到着。荷物を受け取り、外の車で待つ、j20とキアヌと再会! 少し雨交じりで肌寒いが、沖縄に来たと実感。一同レンタカー屋へ行き、stiff号ピックアップしに、フェリーの着く埠頭へ向かった。
プレハブの中へ引き換え券と共に店長が入って行った。外でキアヌと遊んだり、どれだけマッタリしてただろう。全然帰ってこない・・・。”着いて無いんじゃない?”と言うj20の冗談が、笑えない様子。そっと中を覗くと、兄がカウンターに肩肘を置き、カレンダーをボールペンでカツカツ叩いている。
あきらめた様に外に出てきた。
”どしたの?”ア
”フェリーが着くのが土曜の夜だとぬかしやがる”
ちなみにこんなしゃべり方はしないが、そのときの雰囲気を加味するとこうなる。
”土日レースなのに土曜の夜!?””全くふざけやがって、ちくしょう。間に合うってあのばばぁ言ってたのに”
”って言うかやばくない?みんなレース出れないじゃん”
”いま名古屋に停泊中らしい。車降ろさせて陸路大阪まで運んで、大阪からのフェリーに乗せて貰う手筈になったよ。その方が早く着く。”
”でも海、しけてたらアウトじゃん!”
”後は神頼みだな”
・・・こうしてわれらがstiff号は業者のアンちゃんの運転で、一人大阪まで行き、違うフェリーに乗ることになった。
”ところでそのフェリーはいつ着くの?”
”予定は土曜の朝!”
”ぎりぎりじゃん。1レース目は間に合わないかもね。”
”大丈夫。間に合わせてみせる!!”
こうして波乱の幕開けとなった。
次の日到着のツアー組には、観光を先にしてきてもらい、俺らは、stiffでレンタルした2セットを皆でシェアした。その晩は近くのお好み焼き屋でいつもの晩餐会。注文を間違えて大量のお好み焼きを食べ、泡盛1升を空けた!! その後部屋飲みで、更に1升半空けた。ア
俺が、床に光輝くからボトルを抱いて眠る明け方、われ等が店長が、使命感に燃え、しかしロボを運転手に従え、部屋を後にした。
朝8時半。がんがんする頭(ど〜していつもこうなの(`へ’)を振り、朝食のバイキングへ向かった。まだ浜にstiff号は無い。
用意を済ませ、大会本部へエントリーしに行った。スキッパーが始まり、最初にFWをする予定に。10時45分スタートらしい。9時45分ロボに電話をしてみる。
”どんな感じ?”
”店長は車を受け取って、ものすごい勢いで向かいました!”
との事。今度は兄に電話してみた。
”もしもしどう?”と、おそるおそる。
”そっちの状況は?”軽快なトークのテンチョー。
”10時45分スタートだよ”
”よっしゃー!間に合ったぜー!!”
その時浜の向こうから砂埃をあげて、黄色いstiff号が走ってきた。流石最後には帳尻を合わせてくる。終わり良ければ全て良し! でも今回はちょっとやばかったね!
そんなこんなでテンチョーは寝不足にも関わらず、スラロームで1位を果たした!!!
おめでとうございました。そしてお疲れ様です。上のが雑誌レポート用。下が前乗りしたレポートです。続きは、誰か違う視点で書いてぇー!
そーだ、最終マークで俺様を抜き去った子カキ!書きなさい!
ということで、ご指名です。コカッキー、書きなさい。あと、写真ないですか? 写 真!
Copyright (C) ウインドサーフィンスクール&ショップ・STIFF All rights reserved.