Stiffのオリジナルインタビュー |
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第1回目 杉原祐史 |
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U-z Sugihara(J20) |
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杉原祐史選手 |
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J20 杉原祐史(すぎはらゆうじ) JPW登録プロウインドサーファー。ジャパンサーキットランキング00’4位、01’9位のトッププロ。沖縄をホームとしマウイへも遠征。ワールドカップやオリンピックも視野に入れている。レーサーとしてのイメージが強いが、ウェイブ、フリースタイルも精力的にこなす。 '72生まれ。176cm。75kg。ホームゲレンデ/沖縄。SPONSOR:NORTHSAIL、F2、CARVY、CARVIN、OXBOW、HPLH、STIFF。スティフ店長・杉原匡(J43)の実弟。 |
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J-20 杉原祐史 ロングインタビュー
interview/2002.3.1 by J-222 |
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インタビューは、「マスターオブ御前崎」の風待ち時間を利用して行われた。穏やかな風と麗らかに陽射しの中、とてもリラックスして話しが聞け、彼もとても真摯に答えてくれた。レース中にもかかわらず協力してくれたJ20杉原祐史プロに感謝したい。
「店にあるいちばん早い道具をください」 ■まず、ありきたりの質問から、「いつ、どんなキッカケでウインドをはじめたの?」 「17歳、高校生の時です。兄貴(J43杉原匡・店長)に誘われてはじめました。最初からプロ指向だったので、お店に行って、いちばん速い道具をくださいって。それで初めて手に入れたマイボードが、280のスラ板」 ■最初っからショートボード、それもスラロームの板というのは尋常ではない。まず、セイルアップすらままならないハズだ。はたしてスグに乗れたのだろうか? 「う〜ん、結局、逆に時間かかったかも。やっぱり、プレーニングがなかなかできなくって……」 ■さしものトッププロでも、はじめからスラロームボードをスイスイ乗れたわけではなさそうである。ここで店長が口をはさむ。 「でも、『オレはストラップなしでも速いんだ』とか言って、フルプレーニングしているヤツを追いかけていたんですよ。ストラップに足も入れずに」 「そうだっけ。でも、だいたいのことは全部マスターしましたよ。半年で。ジャイブとかウォーターとか」 ■それにしても、どうして、最初からそんな(初心者しては難しい)道具にしたのだろうか? 「初心者用を手に入れても、どうせすぐに小さくて速い道具が必要になると思ってたから。だったら、ムダな投資はイヤだと思って。はじめる前から、プロになるつもりでいましたから」 ■この答えには少し驚いた。多くのプロは、「楽しそうだからやる」→「やってみたら周りより上手かった」→「プロを目指す」、というようなステップがあると思うが、彼の場合は、ただの「プロ指向」ではなく、やる前から明らかにプロになることが前提だったというのだ。 「プロを目指すラジコン少年だった」 「ウインドの前はバイクをやってたんですよ。中学生のころはラジコン。そのどっちもオレ、プロになるつもりでやってたんです。ラジコンのシャーシって、4〜5万円くらいするんですよ。1台組み上げるのに20万くらい。中学生でそんだけの道具を揃えてやっていたのも、結局プロを目指していたからです」 ■失礼ながら、彼らの家庭が、そんなに裕福であったわけではないことを、私は店長から聞き及んでいる。そのような状況下で中学生が、1台20万円もするラジコンに投資する。そこには、ただ「好き」というレベルの趣味ではなく、それなりの覚悟が当然あったのだろう。 「秋葉原のショップでラジコンを組むバイトやってたんです。1台組むと5000円くらいになって、それを週に4台くらい組んでました。高1からはじめたバイクも、50ccからはじめて、プロダクションベースのクラスでは最高の250ccまでランクアップしていって……だから、ウインドもプロになるって決心すればなれると思ってました。年齢的にも若かったし」 ■男の子が小さい頃誰もがそうであるように、彼も子供の頃、車やレースに憧れていたという。しかし、子供は免許もないし、本物の車なんて乗れるわけがない。プロを目指す「ラジコン小僧」、「バイク少年」になった理由には、そんな動機もあったようだ。しかし、17歳の時、彼は「車輪」に分かれを告げ、風と波の世界へ来た。 その時、彼はまだ車の免許を持っていない。すでに仕事を持っていた兄(現Stiff店長)の車で道具を運んでいたそうだが、やがて18歳になり、車が持てるようになった時、彼はどんな車をチョイスしたのだろうか。 「ハイエースのスーパーロングです」 この答えにも少し驚いた。ちいさい頃からスーパーカーやレースに憧れていた男である。代用手段であれ、そのプロすら目指した人間である。それがやっと18歳になり、最初に手に入れたマイカーがDOHCでもない、四輪独立懸架でもない、ハイエース・スーパーロングなのだ。そのことからして、彼が他を捨て、「ウインドのプロ」に賭けていたかが分かる。18歳のウインド歴わずか1年の少年が、子供の頃の憧れを捨て、「ウインドのプロ」への最短ルートを模索していたかに映る。 彼は、こんな言葉も吐いていた。「はじめは、ウインド、つまらないと思ってた」と。「いつもいつも課題があり、壁があったから」とも言っていた。これも私には、強烈なプロ意識に感じられる。おそらく彼は、「ウインドをツライ」と感じたこともないのではないだろうか。もちろんキツイことはたくさんあっただろうが、「プロ」あるいは「プロを目指す者」にとって、それは消化すべき当然のことであって、決して苦難ではない。そんなふうに感じられた。 「プロになって、沖縄へ移って、イイことはたくさんあった」 そんな彼に転機が訪れる。 ひとつは雑誌の企画でもあった天竜川でのスピードトライアル。ここで彼は最高記録を叩き出した。さらに、あるセイルメーカーのワンメイクレースで、準優勝、優勝という成績を上げ、ついにタスカーと契約することになった。彼が21歳の時である。 ここで、憧れのプロになって、つらかったことは? と訊いてみた。 「寝る時間がないこと」 と、これまた意外な言葉が返ってきた。 「たとえば4回戦のプロボクサーとか、他のプロスポーツでもそうでしょうけど……ウインドのプロも、プロになったからといって、その日からそれだけで食べられるわけじゃないんです。だから、他の仕事もする。練習もする。レースにも出る。そうすると、寝る時間が減る。でも、プロになってよかったと思えることはたくさんあります。まず、ウインドができる。ウインドのおかげでいろんな所へ行ける。いろんな海や風と出会える。そして、いろんな人と出会って新しい人脈ができる。……数え上げたらキリがありません」 ■今、彼は沖縄へ拠点を移して5年になる。その良い点、悪い点とはなんなのだろう? 「島だから、どんな(風向の)風でも練習ができる。いろんなゲレンデがあるので、レースだけでなく、ウエイブやフリースタイル、いろんな種目の練習ができる。それも通年でっていうのが有り難いです。そして、それは当然、総合的なウインド力のアップにもなるから、レースにも役に立つと感じています。欠点といえば、沖縄だけでいると、練習相手がいないっていうこと。でもそれは、いろんなイベントでの出稽古やマウイでの集中トレーニングでカバーしています」 ■これからの活動は? 「ジャパンランキングに関するレースはいちおう念頭にはあります。でも、それだけにこだわらず、海外でのフォーミュラにも積極的に出たい」 ■それはオリンピックを意識してのこと? 「それもありますが、今、本当の意味でワールドワイド、世界が競えるレースは、フォーミュラだと思うんです。だから、そんな場所で戦ってみたい。それと、ウエイブやフリースタイルのコンテストも、これからは積極的に参戦したい。スケジュールや活動費などのこともあるので、すべてはカバーできませんが……」 「一緒に乗って、いちばん楽しい相手」 ■最後に、彼の兄である杉原匡について訊いてみた。「あなたのウインド人生にとって、杉原匡はどんな位置?」 「一緒に乗って、いちばん楽しい相手かな。これまで、いろんな場所でいろんな人と乗ってきたけど、兄貴と一緒にセイリングするのがイチバン楽しい」 ■「はじめは、ウインド、つまらないと思ってた」と語った同じ口から、「一緒に乗るのが楽しい」という言葉が出たことが、私は嬉しかった。 きっとこれを読んでいるあなたにも、同じような存在がいるのかもしれない。あるいは、あなたの事を、そう感じている仲間がいるかもしれない。あなたも私も、きっと、ひとりではない。 |
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第2回は、千葉を代表するシェイパー、勝又まさる氏の予定です。スケジュールが取れ次第、インタビューの予定。乞う、ご期待! その後も、日本にウインドサーフィンを紹介した鈴木毅夫氏や三木秀樹氏(現ウインドサーフィンジャパン社長)、NWAで活躍する永島プロなどを予定しています。楽しみにしていてください。 |
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