OKINAWA CUP in 0nna REAL REPORT page3 |
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1月20日 大会最終日 |
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「風の神様お願いします」は、みんなの願いだった。アローズのレースセイルは、サイズが6,9までしかない。他社メーカーのライダーが7,5、7,8などを使う中、J-43杉原匡はアローズ最大の6,9を使用。そしてJ-20杉原祐史は終始2カムのドラッグスター7,5を使用。 今ある道具を使い、自分の力でなんとかしたい。もっともっと吹いてくれれば、小さいセイルでも戦える……。 |
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第4レース、1ヒート、2ヒートと消化され、J89浅沼選手は5ヒート終了時でファイナル進出を決めていた。その結果次第では総合ベスト16以上も狙える。海面では最後のファイナリストを決めるための第6ヒートが行われていた。しかし、何度もリコール。海上に駆り出た選手が再びスタートエリアに戻り、再スタート。それが何度か繰り返された。浅沼選手は、その時すでにスタート海面にいた。次が自分の出番だと思った。 | |||||||||||||||||
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「おおっと、どうしたことか!スタートは切ったものの、人数がひとり多いぞ!これは誰かがヒート間違いを侵しています。いったい誰でしょう。……分かりました。セイルナンバーJ-89浅沼選手ですねぇ。これはどうしたことか。……」 レース実況、斉藤リョーツ氏の名調子が会場に響き渡る。しかし、その声はレース海面を疾駆する浅沼選手の耳には届いていない。J86浅沼武夫選手、痛恨のヒートミス! 浅沼選手がファイナルだと思ってスタートを切ったヒートは、もうひとつのピラミッドでファイナリストを決めるセミファイナルだった。そして、そこには浅野則夫がいた。ヒートが止められた時、まだ浅沼選手は自らのヒートミスに気づいていなかった。 「いったい誰がミスしたんだ!」 とさえ思っていた。自分のヒートミスだと告げられた時、彼は声を上げた。 「おっ、オレ〜っ!?」 彼の「オキナワカップ」は、その瞬間、終わった。 |
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この頃、私たちオキナワツァー組は、すでに会場についていた。ビーチいっぱいにセッティングされた色とりどりのセイル。オキナワに久しぶりに差し込んだ太陽の光。会場に響き渡るフリースタイルの実況アナウンス。華やいだ景色を見ながら、しかし、私たちの心は少し沈んでいた。「千葉勢の成績はどうだったんだ?ファイナルに残っていたハズの浅沼選手のリザルトは?」……。 ビーチで浅沼選手を見つけた。 「どうだった?」 「いや〜、ヒート間違えちゃって……」 「!!!」 「レースは全部終わったの?」 「いや、このフリースタイルが終わった後、もう1レースあるかもしれない……」 私たちはとりあえずフリースタイルの競技を、先端の岩場で観戦することにした。風がやや足りない。それでも、各選手は精一杯のパフォーマンスを繰り広げた。思いっきり下らせ、パンピングで加速しながらの低空フォアード。ビーチ際で繰り広げられるバルカン合戦。ヒート終了数秒前でメイクされるギリギリのスポック……。見どころは、あった。しかし、もう少し風が欲しかったのは事実である。そんな中、ダウンウインドの最終レースキャンセルがコールされる。 ビーチに戻ると、レーサー達はセッティングを解いていた。ひとりで幾セットものセイルを撤収しなくてはならない。私たちは千葉勢の選手達の撤収を手伝った。鈴木コング選手が憔悴した顔をしていた。 「へこんでる?」 私は彼の肩を揉みながら声をかけた。柔らかくて、とても良い筋肉だと思った。彼は答えた。「エクセルのボードも調子イイ。セイルも調子イイ。俺の体調も調子イイ。……でも、結果にできなかった。いや、へこんでなんていませんよ。課題がハッキリしただけです」 後日、737岡崎選手は語った。 「感想? 今後の課題? 課題を見つけるのが課題ですかねぇ。いや、こう書かれるとまるで課題がないくらい速いのかって思われちゃうな。結局、すべてのレベルアップが必要だと思ってます。そのための課題は山ほどあって、でも、いっぺんに全部はできないから、どこに絞るかが問題。自分は仕事もあるし、週末しか練習できない。そしてその週末がいつも吹くとは限らない。そんな状況でも、実戦レース形式の練習をもっとやりたい……」 |
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大会は終了した。J89浅沼選手は帰京後、レース引退をほのめかす発言をしたとも伝え聞く。彼にとって、そしておそらく他の選手にとっても、それほど何かを燃やし尽くさずには出場できないのが、沖縄カップなのかもしれない。しかし、ここで、それぞれの十数年に及ぶウインド人生が燃え尽きたわけではない。浅沼選手の発言の真偽は分からないが、彼らの持つウインドへの情熱はこれからも千葉を照らし続けるだろう。 大会は終了した。しかし、まだ「終わっていないもの」はきっとあるのだろう。そして、そのストーリーを紡ぐ者はいったい誰なのか? それが、今回「観客」であった私たちにとっての課題なのかもしれない。 |
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スティフのステッカーが貼られた杉原祐史選手のアローズTフォース、5,9。このサイズは最後まで使われることはなかった。 | |||||||||||||||||
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ジャパンサーキット年間ランキング |
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オキナワカップのリザルトを受け、先日、JPWより2001年度のジャパンサーキット年間ランキングが発表された。1位は連続で浅野則夫。今、すべては彼を中心に回っているのだろうか。J-20杉原祐史は9位。なんとかシングルを確保。そして、この結果により、自動的に3月1〜3日に静岡県御前崎で行われる「マスターオフオマエザキ ダウンウインド」の出場権を獲得した。強風と高波で知られる御前崎に集結し過酷なコンディションの中、ワールドカッパーも招待して行われる、国内最高峰のスーパースラロームである。もちろん、Stiffは万全のサポート体制を組むつもりだ。 もうひとつ注目することがある。Stiff店長のJ-43杉原匡も22位にランクイン。プロも多く割拠する総勢100名以上の中での成績である。何人ものプロレーサーを押しのけての順位であり、しかも、もし「ショップ店長クラス」というクラスが存在するならば3位に位置すると思われる。それに、兄弟そろってのジャパンサーキットランカーって、今までいたのだろうか。店長、頑張ったね。おめでとう! |
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